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ヨシヒロの読書ブログ

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日本経済の救世主!? 『MMT(現代貨幣理論)とは何か』②

前書き

続いてMMTとは何か』の第一部の第一章について書いていきたいと思います。  

第一部 MMT貨幣論

第一章 貨幣の本質

主流派経済学のように、「原始的な社会の取引は物々交換経済で行われていたが、それでは何かと不便だったため、金のようにそれ自体にモノとしての価値がある『商品』が、貨幣として用いられるようになった」という考え方を「商品貨幣論といいます。

 

しかしながら、現実の経済を説明する枠組みとしての商品貨幣論は、理論的にも、そして実証的にも重大な問題点を抱えている。これが、歴史学や人類学の知見も踏まえたMMTからの批判です。

 

まず、理論的な問題点として挙げられるのが、1971年に米ドルと金の兌換が廃止されて以降、世界のほとんどの国において不換紙幣が価値を認められて流通している理由について、商品貨幣論による説明は極めて説得力に乏しいことです。

 

その説明によれば、人々が不換紙幣の価値を認めて受け取るのは、「他人もその価値を認めて受け取ると考えているから」となります。

 

実証的な問題点の一つ目は商品貨幣論が前提とする、物々交換による市場取引の実在を示す歴史的な証拠が見つかっていないことです。

 

二つ目は、商品貨幣論では、商品貨幣から政府が保証する貴金属硬貨への進化が、商品貨幣では金の重量と品質を計らなければならないので、取引コストを節約するために起こったと考えますが、そうした制度ができあがったのは比較的最近であり、貨幣の本質の説明としては、非現実的であることが指摘されます。

 

では、MMT自身の貨幣観はどのようなものでしょうか。

 

物々交換市場が存在しなかったとすれば、貨幣が存在する以前の商取引は「貸し借り」の関係を伴う「信用取引」にならざるを得ません。そうした取引に用いられた「債務証書」こそが貨幣の起源である。これが、MMTの見解です。

 

中世ヨーロッパの商取引で主として用いられていたのは金属硬貨ではなく「割り符」と呼ばれる債務証書であり、それを提供することによってモノやサービスを購入したり、債務を弁済したり、貸し出しをすることができました。すなわち、貨幣として機能していたのです。

 

このように、貨幣の起源を貸し借りの関係に求め、「貨幣=支払手段として用いられる債務証書」ととらえる考え方を「信用貨幣論といいます。

 

信用貨幣論では、素材ではなく債権が貨幣価値の裏付けとなるため、不換紙幣であっても決済手段として通用することの合理的な説明がつきます。

 

つまり、商品貨幣論が説くように、物々交換市場から貨幣が生まれたのではなく、むしろ貨幣が先に存在し、それに付随する形で市場取引が発展したというのです。

 

割り符貨幣は貴金属硬貨より古くから存在しており、また、貴金属硬貨が素材をはるかに上回る価値で流通していたという事実からして、貴金属硬貨も商品貨幣ではなく、当初から「金属に刻印された債務証書」、すなわち信用貨幣であったというのがMMTの結論です。

 

また、素材価値とは無関係に支払い手段として所定の価値を持っていることこそが貨幣の本質であるという考え方「表券主義」といいます。

 

さらにMMTは、国が定めた貨幣である国定貨幣は、それを差し出す見返りとして、国家に対する税金などの支払債務を消去できる法的な権利が保有者に与えられていることこそが、国定貨幣を貨幣たらしめる要因であるというのです。

 

したがって、国家に対する債務を抱えた人々が多数存在すれば、国定貨幣を手に入れたい人を見つけるのは極めて容易になります。すると、国家との取引だけではなく、民間同士の取引においても、安全な支払手段として国定貨幣が幅広く使われるようになる。これがMMTの主張です。そしてこれは、実証的な裏付けも伴っています。

 

国定貨幣は、債務証書である国定貨幣を債務者たる国家に提示しても、債権者すなわち国定貨幣の保有者が国家に対して負っていた債務が消去されるだけで、国家から引き渡されるものは何もありません。

 

その意味では国定貨幣とは、債権を行使する者が必ず債務者に対して債務を負っていることを前提とした、特殊な債務証書と言えるでしょう。

 

信用貨幣が表券主義と結びつくことによって、現代の通貨制度の元型ができ上がったのです。